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お役立ちコラム

ウチナー御願ばなし<慈悲深き 愛すべき火の神>

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 沖縄独自の御願行事、火ぬ神(ヒヌカン)や屋敷の御願などはやり方や意味が分からなくて悩んでいる人は多いはず。その由来や実践方法まで、沖縄の歴史、民族に詳しい座間味栄議さんに教えてもらい、正しい知識を身につけよう!

慈悲深き 愛すべき火の神

御嶽のイビ。聖地の内部のもっとも神聖な場所。写真は友利之嶽(南城市)のイビ(写真提供/むぎ社)
御嶽のイビ。聖地の内部のもっとも神聖な場所。写真は友利之嶽(南城市)のイビ(写真提供/むぎ社)

オバァの知恵の所産

きらびやかさとは無縁の火の神(写真提供/むぎ社)
きらびやかさとは無縁の火の神(写真提供/むぎ社)

 チムガカイ(気がかり)することがあれば、真っ先にむかうのは火の神(ヒヌカン)。カウンセラーのところでもなければ精神科医のところでもない。ましてや霊能者のところでもない。そして、ぶつぶつとつぶやくのは、小難しいグイス(拝み言葉)でもなければ決まりきった言い回しでもない。ごくごくありふれた言葉で胸のうちをさらけ出す。
 つぶやきはやがて、チムワサワサ(胸さわぎ)を鎮め、柔和な心をとりもどす。
 それこそがまさに、倦(う)まず弛(たゆ)まず、したたかに生きてきた沖縄オバァたちの知恵の所産というべきものであろう。
 それでは、長い歳月を乗り越えて生きつづけ、オバァたちが寄り添ってきた「火の神」とはどういう神さまなのだろうか。
 結論からいえば「慈悲深き愛すべき神さま」ということに尽きる。
 台所の一隅に、依代<よりしろ>(神霊の宿るシンボル)として小ぶりのウコール(香炉)が安置されているだけで、特段目をひくものはない。
 金色の仏像のように人を威圧するでもないし、気おされるきらびやかな祭壇があるわけでもない。まことにもって殺風景この上ない。
 その佇(たたず)まいは、ウコールだけがポツネンと置かれた御嶽のイビ(聖地の内部のもっとも神聖な場所を示す)や、神木のタムト木(神が降臨する)が無造作に配された神アシャギ(神を招き祭祀(さいし)を行う場所)の、何やら物寂しい様とよく似ている。
 火の神もイビもタムト木も、人の生き方、考え方などといった小ざかしいことは一切言わない。また、求めない。それでいて、拝む者にむけるまなざしはどこまでも慈しみに満ち、かすかなつぶやきにも耳を立てる。論語でいうところの「耳順(じじゅん)」そのもので、どんな言葉でも素直に受け入れてくださるのである。

沖縄人の信仰世界

 それだからこそオバァたちは、ことあるごとに火の神に語りかけ、その加護を願ってきたのであろう。イビヌメー(イビの前)に座して豊穣を祈り、アシャギマー(神アシャギの前庭)でカミアシビ(神遊び)を繰り広げてきたのであろう。まさに、自然の中に神も宿れば仏も宿るという信心の世界に生きてきたといえる。
 このような神々を拝し、トートーメーに限りない崇敬の念を抱いてきた沖縄人の口から「神も仏もあるものか」という、心も細るような言葉が生まれてこなかったのは、けだし当然のことだといえる。
 さらに言えば、信仰を離れた文化財としか感じられない奈良・京都の古寺で、その絢爛(けいらん)さに感嘆することはあっても、心よりの合掌をする気になれないのもまた、沖縄人の信仰世界に生きていれば、何ら不思議なことではないのである。

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~参考文献~
「トートーメーQ&A(むぎ社)」。トートーメーの継承問題を一問一答形式でズバリ答え、あわせて年中行事、人生儀礼とトートーメーのかかわり方をまとめた1冊。


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執筆/座間味栄議
ざまみ・えいぎ 沖縄県の歴史・民俗を中心に地方出版物を刊行する出版社「むぎ社」を主宰。主な著作に「トートーメーQ&A」「沖縄の拝所」「オバァが拝む 火の神と屋敷の御願」など。御願行事についてやさしく伝えるサイト「御願ドットコム」も運営する。http://www.ugwan.com/


毎週木曜日発行・週刊ほ〜むぷらざにて第2週に掲載中<第1354号2013年6月13日掲載>

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