小径から浮かぶ集落の原風景
『古い石積みに職人の技』

兼城・門原<ジョーバル>の石積み集落(糸満市)
糸満市兼城・門原集落は、戦前の琉球石灰岩の石積みが現在も残り、石職人の高い技術がうかがえる。うねる小径<こみち>を歩けば、昔の集落の光景が浮かび上がってくる。同集落に住む、運天勲さんに案内してもらった。
文・写真/運天 勲
(社)日本建築家協会沖縄支部
この地に移り住んでもう16年になる。事務所と自宅を行き来する日々、仕事の忙しさを言い訳に地域を散策することもめっきり減ってきた。
先日「市史・村落資料」を読む機会があり、多くの史跡などがあることを知って、早速資料を手に、散策することにした。
国道331号・西崎交差点から東に見える緑豊かな丘陵(=写真3)を目指し、坂道を登る。雑木林に潜む奥間グスク(※1)に突き当たり、右の坂を登ると古い石積みのある集落に入る。ここは、糸満市字兼城・門原の集落である。
集落の西を走るナカミチ(=写真1)(※2)と呼ばれたこの通りは、古くから集落の幹線道路として使われ、その両脇には門中の本家が立ち並んでいたこともあって、屋敷を囲む古い石積みが残っている。琉球石灰岩を布積み(※3)、あるいは相方積み(※4)とした戦前のものが多い。
通りは南へうねりながら兼城橋・報得<ムクエ>川へ下る。その通りの中ほどに、糸満市の有形文化財として指定された大城家(東前門<アガリメージョー>)がある。1907(明治40)年に建てられ屋敷を囲う石垣は、北側を野面積み(※5)、正面と東側は精巧な切石積み(※6)で当時の石職人の技術の高さをうかがうことができる(=写真2)。その向かいにも、相方積みの上に野面積みをのせた新得前門<ミートゥクメージョー>の石垣があり(=写真4)、このような石垣は集落のいたるところで見ることができる(=写真5)。
また集落には、大城家のような戦禍を免れた民家が20軒程あったらしいが、老朽化などにより建て替えられ、今では数軒ほどが残っている。そのうち3軒は、首里から移築したもの(うち1軒は、首里のノロの家)で興味深い。
1945(昭和20)年ごろの集落の地図と見比べてみても、道の広さは変わったが、うねるような線形と人ひとりしか歩けないような小径は昔のままで、想像する古い集落の光景と現在を重ね合わせることは難しくないくらいに至る所に記憶として残っている(=写真6)。
景観などで特筆できるものはないが、この地の歴史を知ることで新・古の狭間で暮らすことに愛着と魅力を感じることができた。多少の不便さはあるが、ここは豊かな自然と古い石垣、そして人々の温かな人情に包まれた魅力ある地域だ。





※1 察度王の六男・金城按司と、その次男奥間按司が築いたグスクという説がある
※2 ナカミチの発祥には、中国人による謂<いわ>れがある
※3 一段ごとに高さをそろえ、ブロック状に積み上げる技法
※4 石を多角形に加工し、互いに噛み合うように積む技法
※5 加工していない自然の岩や石を、そのまま組み合せて積む技法
※6 一定の形に切った石を規則正しく積み上げる技法。城跡の門の部分に見られる
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毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞にて連載<第1336号2011年7月22日に掲載しました>