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建築家と探す『地域の魅力』<壺屋やちむん通り・南ヌ窯・東ヌ窯(那覇市壺屋)>

屋敷囲い・緑陰に優しさ漂う

『窯に沖縄建築のヒント』

写真2/南ヌ窯の焼成部。たくましい琉球石灰岩の柱で赤瓦屋根を支えているのが分かる
写真2/南ヌ窯の焼成部。たくましい琉球石灰岩の柱で赤瓦屋根を支えているのが分かる

壺屋やちむん通り・南ヌ窯・東ヌ窯(那覇市壺屋)

 沖縄の焼物のメッカ・那覇市壺屋やちむん通りは、今回の執筆者である金城優氏((有)門代表取締役)が幼いころ、休日に父とよく行った思い出の場所。当時の記憶をたどりながら散策してもらい、県指定有形文化財・南ヌ窯に沖縄建築のヒントを見いだしつつ、壺屋の魅力をつづってもらった。

文・写真/金城優
(社)日本建築家協会沖縄支部副支部長

 18世紀中期に首里王府で編集した「球陽」の巻の7、尚貞王15年(1683年)のころに、「陶窯ヲ牧志邑ノ地ニ移設ス。昔壷屋アリ、美里郡ノ知花邑、首里ノ宝口、那覇ノ湧田等ノ地ニアリ。共計レバ三所、コノ年ニ至リ、ソノ三地ノ陶窯移シテ牧志邑ノ南ニアリ、似テ一所トナスナリ」(原文漢文、桑江克英氏訳)とあります。沖縄市の美里村知花窯、首里宝口窯、那覇市湧田窯が牧志村の南に統合され、現在の壺屋に移されたという記録があるようです。
 記憶をたどりながら、この町を散策しました。一方通行の道なりに歩いていくと、ガジュマルの木が、通りの入り口の目印になるかのように、力強く生え、二又の路地に優しく大きな陰をつくっています(写真1)。この木に隣接しているのが、「南ヌ窯(ふぇぬがま)」です。壷屋でただひとつ残った、酒甕(さけがめ)、水甕、厨子(ずし)甕などの荒焼き登り窯で、1973(昭和48)年には、県指定有形文化財に指定されました。奥行き約20メートル、幅は約3メートルで、傾斜地を利用してかまぼこ型に、粘土で塗り固めた構造になっています。
 窯を覆う赤瓦の屋根は、耐火性を考慮してあり、熱のこもらない構造でできています。柱は琉球石灰岩でできており(写真2)、それを取り囲むように琉球石灰岩の切石積みでできていて、その石垣が保護の役目をしています。古いこの窯には、沖繩の気候、台風や地震など、さらに熱に耐えてきた建造物として、これからの建物のヒントが隠されているように見えてきました。
 南ヌ窯を後にやちむん通りとほぼ平行に、スージ小(ぐゎー)<小道>に入り込むと、緩やかな曲線に、ツタの茂った屋敷囲いがとても心地良い(写真3)。この壺屋を何度か訪れたという、民芸研究家の柳宗悦や陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチなどの方々が、路地の風景をどのように感じ、どんな作風に取り入れていたのでしょう。
 さらに先へ進むと、1974(昭和49)年まで使用され、現在修復中の「東ヌ窯(あがりぬかま)」が見えてきます(写真4)。南ヌ窯と同じく斜面を利用した窯は長さ約18メートル、幅5メートルでできていて、昔は焼成室が13袋からできていたそうですが、現在は9袋になっているようです(図1)
 路地の終盤、東の端に「東ヌカー」と呼ばれる、壺屋で最も古いと言われている井戸があります(写真5)。井戸の水くみ上げポンプが、愛嬌(あいきょう)のある何ともいえない懐かしい雰囲気で、私たちを待っていてくれる気がします。
 たまには壺屋を散歩して、那覇の歴史をたどってみるのはいかがでしょうか。

参考資料=「那覇市立壺屋焼物博物館所蔵」壺屋焼物博物館・常設展ガイドブック、那覇市立壺屋焼物博物館企画展「新垣家重要文化財指定記念」東ヌ窯、「壺屋陶器事業共同組合」ホームページ

写真1/やちむん通り。ガジュマルの木が又路地に優しく大きな緑陰をもたらしている
写真1/やちむん通り。ガジュマルの木が又路地に優しく大きな緑陰をもたらしている
写真3/やちむん通りとほぼ平行に入り込んだスジ小で見つけた屋敷囲い。ツタに覆われ雰囲気がいい
写真3/やちむん通りとほぼ平行に入り込んだスジ小で見つけた屋敷囲い。ツタに覆われ雰囲気がいい
写真4/東ヌ窯(新垣家)。現在は修復中(写真提供=那覇市立壺屋焼物博物館)
写真4/東ヌ窯(新垣家)。現在は修復中(写真提供=那覇市立壺屋焼物博物館)
写真5/東ヌカー。井戸の組み上げポンプが懐かしい
写真5/東ヌカー。井戸の組み上げポンプが懐かしい
図1/東ヌ窯の構造図。南ヌ窯と同じく斜面を利用し造られている
図1/東ヌ窯の構造図。南ヌ窯と同じく斜面を利用し造られている

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毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞「第1376号2012年4月27日紙面から再掲載」

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