沖縄の不動産・賃貸・売買ならコノイエ+プラス

お役立ちコラム

電柱が語る「まちの記憶」(那覇市松尾)

「電柱が語る」 まちの記憶 Vo.1

小さなプレートに復帰の記憶

見慣れた住宅街の電柱。近付いてみる

「地域の歴史を調べる」という話をすると、難しそうに感じます。私もそう思うのですが、毎日の中で「いま」を少し観察すると、過去の出来事や記憶、すなわち「むかし」を語るものが見つけられます。これから、ふと顔を出す過ぎ去った時間を探しに街へ出てみます。

那覇市松尾
那覇市松尾。中心部の近くでも、表から一本入ると昔ながらの通りの風景が広がる。通りに並ぶ電柱を見上げると、そこに「政府前」の文字が。何気ない街の中に、むかしを語る存在が隠れている

 写真は、県庁にほど近い那覇市松尾付近のものです。立ち並ぶ家と狭い道路は、よく見る光景です。その中で電柱に着目してみます。街のあちこちにある電柱が、どのように「むかし」を語ってくれるのでしょうか。
 もう少し、電柱に近づいてみます。たいていの電柱には、目線のあたりに宣伝が張られています。少し見上げます。すると広告とは別に、なにか白いプレートが張り付けられています。このプレートこそが、この街の「むかし」を語ってくれる存在です。

1302js_matikioku02

プレートには、番号などと一緒に「政府前幹」と書かれています。一見すると、この辺りは住宅や小さなお店が並ぶ通りで、「政府」らしきものは見えません。この政府という文字が示すものは、果たして何なのでしょうか。
 1972年5月15日、沖縄は本土復帰を迎えました。復帰以前、沖縄には「琉球政府」と呼ばれる組織がありました。大まかに言えば、日本政府と沖縄県の機能を併せもつ存在でした。復帰後、琉球政府は役割の一部を国に分轄し、沖縄県庁となります。
 ここまで書けばもうお分かりかもしれません。松尾にある電柱の「政府」とは、琉球政府を示しているのです。電気や電話の線にも、道路やバスの路線のように線名が付けられています。恐らく、初めて線が敷かれた時に「政府」前であったので、名付けられた名前が変更されずに残っているのでしょう。今は住宅地の中だけですが、地中化される前はまさに県庁前の電柱にもプレートが取り付けられていました。当時まだ残っていた立法院の建物と「政府前」と書かれた電柱のプレートは、まさに歴史を感じる場面でした。

道の裏へ入ると、最近は珍しくなった木の電柱が立っていた。この電柱にも同じく「政府前」と書かれたプレートが。この古い電柱が見てきた街の移り変わりは、どのようなものだったのだろうか
道の裏へ入ると、最近は珍しくなった木の電柱が立っていた。この電柱にも同じく「政府前」と書かれたプレートが。この古い電柱が見てきた街の移り変わりは、どのようなものだったのだろうか
琉球政府ビル
現在は、建て直された沖縄県庁の敷地に琉球政府ビルが建っていた。電柱のある通りからすぐ近くに、琉球政府の議会、立法院の跡を示すモニュメントが置かれている。復帰が体験から歴史に変わりつつあるのを感じる

 何気ない街の風景の中に、沖縄がたどってきた歴史が溶け込んでいます。初めて見つけた時、とても驚きました。そして街を歩いていくと、地域の過去を物語ってくれるものたちがあちこちに存在することに気付いたのです。
 連載では、沖縄から時には県外や国外も歩き回って、地域を語ってくれる存在を紹介します。

<まちあるきライター>
一柳亮太(ひとつやなぎ・りょうた)

 1978年、神奈川県出身。大学で地理学を専攻し、離島に暮らす人々の生活行動を研究。まちや地域をテーマにしたワークショップやプロジェクトを運営する傍ら、まちあるきライターとしても活動。

▼関連する過去の記事


※写真をクリックすると拡大して見ることができます。
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞「第1302号2010年11月19日紙面から再掲載」

月別アーカイブ

ライター