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新城和博の「ごく私的な歳時記」 <4>

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春の雑草をめでる

 猫の額ほどの庭と、でっかい豆腐箱を数個並べたような花壇がある。いや庭や花壇と名乗るのも恥ずかしい。ひとんちの庭を見るのは好きなのだけど、自らガーデニングとなるとまったくで、花壇に至ってはできて約7年間、まったく何も植えていないので、近所からあの空間はいったいなんだろうかと不審がられているのではないか。

ほったらかしー、なのである。

 しかし、まったく何も生えてないわけではない。四季折々さまざまな花が咲いていたりするのだ。人はそれを雑草と呼ぶかもしれないが、僕にとっては季節を感じさせるすてきな花たちだ。いつの間にか、そして特に劣悪な環境ほど繁殖する彼らを、僕はとても愛している。生え方、いや生き方として目指したいとさえ思っている。

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 彼らはハッと気付くと咲いていて、花が小さいというのも好ましい。小さいものはみんないとおしい。年をとるにしたがってさらにその傾向は増している。

 しかしずぼらな僕は彼らの名前をだいたい知らない。雑草と呼ぶのは心がいたい。そういう僕にとって大変便利な本がある。『おきなわ野山の花さんぽ』(文・写真/安里肇栄)は、よく見かけるそんな花たちを紹介している。タンポポくらいは知っているが、お気に入りのチリメンナガボソウはこの本で初めて名前を知った。このチリメンナガボソウは雑草から格上げとなり、家の入り口を飾るようになった。アスファルトやコンクリートの隙間から生えてピンク色のあでやかな花が咲く日日草のたくましさには、通年で感心している。

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 休みの土曜日、猫の額ほどの庭でしゃがんで、サバンナの植物のように点々と増え出してきたタンポポを眺めて、春というか夏の気配を感じる。が、しかし雑草をずっとめでるわけにもいかず、しばらくすると草取りをしないといけなくなる。何かしら緑が生えていたほうがよい気もするが、野っぱらの一軒家というわけでもないので、しかたがない。

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 小1時間ばかし家人と一緒に草取りをした結果、庭の額はダンパチをしたような仕上がりとなった。さっぱりしたと言えばそうなのだが、少し寂しくなる。

 「これ、小瓶にいれて」とたのまれて、草取りした日日草の花をひとつまみ、小瓶に飾った。厳しい環境を好んで咲いている日日草だが、うちの台所はどうだろうか。


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この記事のライター

新城 和博

ライター、編集者

新城 和博

1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

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