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バス停が語る「まちの記憶」(うるま市石川)

「バス停が語る」 まちの記憶 Vo.2

路線沿いに残る にぎわいの跡

 街の中には一見ありふれたものが、地域の「むかし」を語ってくれます。その視点から、バス停をたどってみたいと思います。

 15年ほど前、首里に「プール入口」というバス停がありました。ある日、気になってそのバス停で降りてみました。少し歩くと使われていないプールに行き当たり、「これだ」と思ったのを覚えています。後にここが「首里プール」という沖縄初のプールなのだと知りました。このようにバス停の名称は、地名やその近くにある施設から名付けられ、街の移り変わりと共に変わります。ところが、時々なぜかむかしのままの名前が残ることがあります。

戦後、地元石川はもとより、恩納村や金武町から訪れる買い物客でにぎわっていた市場入口、昭和57年(1982年)年にアーケードが完成した後、平成16年(2004年)の再開発でスーパーと県営住宅に変わった。当時の面影は見えない。
戦後、地元石川はもとより、恩納村や金武町から訪れる買い物客でにぎわっていた市場入口、昭和57年(1982年)年にアーケードが完成した後、平成16年(2004年)の再開発でスーパーと県営住宅に変わった。当時の面影は見えない。

 さて、うるま市石川に来ました。石川の街は戦後すぐのころ沖縄の中心だった街です。街を歩くと、あちこちで当時の名残をみつけることができます。石川の中心部にある3つのバス停「石川市場入口」「琉映前」「石川電話局前」も、この街のむかしを伝えてくれます。
 北向けのバスに乗って「石川市場入口」で降りて市場を探してみます。それらしきものは見当たりません。そばに大きな広場とスーパーがありました。おそらくここであったのではないかと思い、後で調べると、スーパーとその隣にある市営住宅の建っている場所に、以前市場があったことが分かりました。

 「琉映前」でも、映画館らしき建物は見当たりません。石川だけで4、5館はあったと言われる映画館も、現在は1館もありません。(うるま市立石川歴史民俗資料館の学芸員によると、かつてあった映画館のうち琉映館とオリオン館は、当時の建物が残っているとのことでした。編集部調べ)。

かつて琉映館だった建物(上写真)は、現在店舗(右)として使われている。建物正面はすっかり変わってしまったが、道路脇から見ると、傾斜のある屋根の形に面影が見える。
かつて琉映館だった建物(上写真)は、現在店舗(右)として使われている。建物正面はすっかり変わってしまったが、道路脇から見ると、傾斜のある屋根の形に面影が見える。

写真提供=うるま市立石川歴史民俗資料館(写真左)/写真=石川市市制45周年記念誌「いしかわ」より(写真右)
写真提供=うるま市立石川歴史民俗資料館(写真左)/写真=石川市市制45周年記念誌「いしかわ」より(写真右)

 その次の停車場である「石川電話局前」。電話局は以前に廃止されています。しかし、建物の一部はNTTの施設として使われています。そういえば、以前は電話番号を書く時に「局」を付けましたが、最近は見ません。電話局という言葉もやがて使われなくなるのでしょうか。

電話局だった建物は、現在は駐車場に(上写真)なっており、一部分は、NTTの施設として使われているようだ。
電話局だった建物は、現在は駐車場に(上写真)なっており、一部分は、NTTの施設として使われているようだ。

 これらのバス停の名前は、どれも人が集まる大きな街にあったものばかり。しかし現在はバス停の名前だけがその名残をとどめています。願わくばこのまま名前を変えずに、街のむかしを伝える存在であってほしいと思います。


※取材協力:うるま市立石川歴史民俗資料館


<まちあるきライター>
一柳亮太(ひとつやなぎ・りょうた)

 1978年、神奈川県出身。大学で地理学を専攻し、離島に暮らす人々の生活行動を研究。まちや地域をテーマにしたワークショップやプロジェクトを運営する傍ら、まちあるきライターとしても活動。

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毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞「第1306号2010年12月17日紙面から再掲載」

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