夏越しのカーチーベー

風が変わった。今年は確かにそう感じた。
ああ、これが夏至南風、カーチーベーかと実感できるほど、首里の森も揺れていた。弁当作りのため、朝五時半ごろ起きて、“あけもどろ”、つまり朝焼けの空を見ながら窓を開けると、カーテンが勢いよく膨らむ。
カーチーベーというと、なんとなく海の上を吹き抜ける夏の風、というイメージがあったので、今まで意識したことがなかった。気持ちいい。
このまま、マフックヮ(昼間)をすっとばしてアコークロー(夕暮れ)になれば、こんなに過ごしやすい土地はあるまいて……。
シマクトゥバ風味で書くと、夏の沖縄もただ暑いだけでなく、なんだか色鮮やかだな。しかし弁当を作り終えて朝ご飯を準備するころには、汗だくになってしまうのだが。

セミの声は例年より静かな気もする。夏に出遅れた、という感じで、まだあの大音響で鳴り響いていない。アメリカの「周期ゼミ」のように、沖縄でも大量発生(と言えばいいのか)する年とそうでもない年があるのだろうか。
セミに関してもう一つの疑問は、朝のセミの大合唱が10時ごろになると、ピタリとやむことである。なにか森のセミ同士で地位協定でもあるのだろうか。今度専門家に聞いてみよう。どんなことにも専門家というのはいるものである。
この時期は趣味の〈那覇まち〉歩きも、殺人的な暑さの昼間は無理だ。自分の新刊の宣伝も兼ねて行った、西町、辻、若狭界わいの〈那覇まち〉歩きも夕方にした。今はなき「西の海」や崖の痕跡などをたどって〈んかし(昔)那覇〉の面影をしのぶというもの。参加者を10人ほど募って、僕が一応ガイドっぽい感じで案内して、那覇の海に面する若狭界わいを、月が頭上にあがるころまで歩いたのだが、やはり最後は汗だくになった。
んかし那覇の人たちは、夏になると夕涼みで、よく海に面する崖に出掛けていたらしい。戦前の〈那覇まち〉を記した随筆を読むと、よくそんな描写が出てくる。夕暮れになるとすずめの大群が、那覇のあちこちにあったガジュマルに、大騒ぎしながら舞い降りてきたそうである。アコークローの大樹の陰で夕涼みする様子を想像しながらの〈那覇まち〉歩きだった。
ゴーヤーもあちらこちらからお裾分けされるようになり、夏越しの準備は整った。長い長い夏は始まったばかりだ。
▼新城和博さんのコノイエコラム
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