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お役立ちコラム

マンホールの蓋が語る まちの記憶(沖縄市美里)

「マンホールの蓋が語る」 まちの記憶 Vo.9

足元に印された地域の歩み

 今回は、どこの地域にも必ずある、マンホールの蓋(ふた)に関する話です。ふだん道行く時には、じっと見ることが少ない地面にも、まちのいろいろな記憶が詰まっています。

コザ十字路付近で撮影した路上にある2個のマンホール。付近は旧コザ市と美里村の境界にあたり、両者のマンホール蓋が存在する
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コザ十字路付近で撮影した路上にある2個のマンホール。付近は旧コザ市と美里村の境界にあたり、両者のマンホール蓋が存在する

 写真1は、沖縄市コザ十字路付近で撮った写真ですが、どの地域でも同じような光景を見られると思います。マンホール蓋には、それを設置した団体のマークが刻まれます。自治体であればその県や市町村章が、会社なら社章であるのが一般的です。写真にある2つのマンホールの蓋にも同様に描かれていました。
 しかし、マンホール蓋は非常に丈夫なものなので、設置者が何らかの事情で消滅してもそのままに用いられることが多いようです。古いマンホール蓋には今は無くなった団体の存在が残り、記憶を語ってくれます。

 地域の歴史をひも解いてみます。沖縄市は1974年に、コザ市と美里村が合併してできた街です。写真のコザ十字路付近は、ちょうど両市村の境界でした。図書館にあった文献を調べると、このマンホール蓋のマークは一つは「コザ市章」(2)で、もう一方は文献とは少し異なっていたものの「美里村章」(3)であったのが分かりました。
 ところが、話はまだ終わりません。しばらく歩くと、美里村章に似ているけれども、少し違うマークのマンホール蓋を見つけました。村章の上の凹んだ部分に、さらに小さな丸にたち昇る太陽のような模様が描かれています(4)。付近を探しましたが、この太陽付き美里村章のマンホール蓋は他には見つかりませんでした。
 改めて文献を調べると、72年の村政要覧には太陽付きの村章が描かれていました。最初に参照した「みさと戦後の歩み」は、合併を翌年に控えた73年に美里村より発行された、記念誌としての性格もある冊子です。記念誌に誤った村章を載せる可能性は低いでしょう。

 こうしてみると、3種類の美里村章が見つかったことになります。多くのマンホール蓋に描かれた村章、1枚だけ見つかり72年の村政要覧に載っている村章、73年の「みさと」に載っている村章です。果たしてどの村章が本当の「美里村章」なのか-今回調べた範囲では分かりませんでした。当時を知る人にぜひ話をうかがいたいと思いました。同時に、過去はこうして分からなくなってしまうことを改めて感じました。

<2> 奥側は、旧コザ市の市章が描かれているマンホール蓋。囲む円が「コ」、円の中が「ザ」   併前年の1973年に発行されたコザ市の市勢要覧にある市章の説明。「1959年制定市章はコザのコを円形にし、サをその中に示して図案化したもので、飛翔発展して行くコザ市のすがたをあらわしたものである」と記されている
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奥側は、旧コザ市の市章が描かれているマンホール蓋。囲む円が「コ」、円の中が「ザ」
 併前年の1973年に発行されたコザ市の市勢要覧にある市章の説明。「1959年制定市章はコザのコを円形にし、サをその中に示して図案化したもので、飛翔発展して行くコザ市のすがたをあらわしたものである」と記されている
<3> 手前側。旧美里村の村章が描かれているマンホール蓋。中間と下でそれぞれ「サ」「ト」に見える   1973年に発行された「みさと戦後のあゆみ」に掲載されている村章の説明。「美里村の美しい里にしようという推進でかたかなのミサトを円(わ)でかこって常に村民が『わ』を持って村の発展を願う意味を表わしている」(原文のまま)
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手前側。旧美里村の村章が描かれているマンホール蓋。中間と下でそれぞれ「サ」「ト」に見える
 1973年に発行された「みさと戦後のあゆみ」に掲載されている村章の説明。「美里村の美しい里にしようという推進でかたかなのミサトを円(わ)でかこって常に村民が『わ』を持って村の発展を願う意味を表わしている」(原文のまま)
<4> 旧美里村の村章に、さらに太陽が描かれているマンホール蓋。付近では他に見つからず、これ1枚だけが存在した。村章の向きが曲がっているのはご愛嬌   1972年に発行された美里村の村政要覧に描かれた、太陽付きの村章。村章の解説は「みさと戦後のあゆみ」と同様になっている
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旧美里村の村章に、さらに太陽が描かれているマンホール蓋。付近では他に見つからず、これ1枚だけが存在した。村章の向きが曲がっているのはご愛嬌
 1972年に発行された美里村の村政要覧に描かれた、太陽付きの村章。村章の解説は「みさと戦後のあゆみ」と同様になっている

<まちあるきライター>
一柳亮太(ひとつやなぎ・りょうた)

 1978年、神奈川県出身。大学で地理学を専攻し、離島に暮らす人々の生活行動を研究。まちや地域をテーマにしたワークショップやプロジェクトを運営する傍ら、まちあるきライターとしても活動。

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毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞「第1335号2011年7月15日紙面から再掲載」

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