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お役立ちコラム

電話番号が語る まちの記憶(本部町)

「電話番号が語る」 まちの記憶 Vo.12

局番に残る村の移り変わり

 今回は、あらゆる人が日常的に利用している数字、電話番号に着目してみます。単なる数字の羅列の中から、どのような地域の昔が分かるのでしょうか。

<神奈川県川崎市・横浜市日吉のケースでは>

<1> こちらは川崎側の日吉にある庁舎。幸区は川崎市の区。区役所日吉出張所をはじめ、図書館などが入居する  <2> 対して横浜側にある横浜市日吉地区センター。村が2つに分かれたためか、川崎と横浜の両者とも元来の日吉村役場があった位置ではない  <3> 分かりにくいですが、横浜市に市外局番044があった証拠写真。左下、側溝にある金属ふたのひし形が横浜市の市章。シャッターには電話マークの後に044が見える  <4>
とある会社の軒先。港北区は横浜市の区。しっかりと「日吉044」と記されている。局番変更から20年余がたつが、そのままの看板が残っている
<1>
こちらは川崎側の日吉にある庁舎。幸区は川崎市の区。区役所日吉出張所をはじめ、図書館などが入居する
<2>
対して横浜側にある横浜市日吉地区センター。村が2つに分かれたためか、川崎と横浜の両者とも元来の日吉村役場があった位置ではない
<3>
分かりにくいですが、横浜市に市外局番044があった証拠写真。左下、側溝にある金属ふたのひし形が横浜市の市章。シャッターには電話マークの後に044が見える
<4>
とある会社の軒先。港北区は横浜市の区。しっかりと「日吉044」と記されている。局番変更から20年余がたつが、そのままの看板が残っている

<沖縄県本部町のケースでは>

<1> 本部町役場の位置する渡久地の街で見つけた看板。市内局番は「47」  <2> 旧上本部村役所の置かれていた謝花集落にある看板。市内局番は「48」  <3> 謝花の集落。旧上本部村役所は合併後、本部町役場謝花支所となり、現在は町役場公営企業課庁舎として残る  <4> 旧村役所庁舎。元の玄関には今も「上本部村役所」の文字が残されている。復帰以前の沖縄では、町村も「役場」ではなく「町役所」「村役所」としていた
<1>
本部町役場の位置する渡久地の街で見つけた看板。市内局番は「47」
<2>
旧上本部村役所の置かれていた謝花集落にある看板。市内局番は「48」
<3>
謝花の集落。旧上本部村役所は合併後、本部町役場謝花支所となり、現在は町役場公営企業課庁舎として残る
<4>
旧村役所庁舎。元の玄関には今も「上本部村役所」の文字が残されている。復帰以前の沖縄では、町村も「役場」ではなく「町役所」「村役所」としていた

 固定電話の番号は、市外と市内局番、回線番号の合計10桁で構成されています。かつては、電話の相手まで手動でつなげていました。その電話をつなげる場所が電話局で、ある一定の地域ごとに置かれていました。だいたいは自治体ごとにあった電話局と局番ですが、市町村合併などが起こると、少しずつズレが生まれて変則的なことが出てきます。

 局番と地域の歴史の関わりで全国的に有名なのが、神奈川県にある日吉という場所です。もともと日吉は、川崎市と横浜市に挟まれる一つの村でした。合併の際に、川崎と横浜どちらへ合併するか大きな議論となり、結局1937(昭和12)年に分村合併しました。今でも日吉を称する学校や役所などが、横浜と川崎の両方に存在しています。ここまでは、市町村合併でよくある話です。しかし日吉が興味深いのは、合併の余波が50年以上を経ても電話番号に残っていたことです。川崎の市外局番が「044」、横浜が「045」とされていますが、日吉は元の村全体で川崎扱いの044となりました。
 当然、横浜市側の日吉は同じ横浜市内へ掛けるのにも市外通話の扱いとなり、さまざまな混乱も生みました。結局この扱いは90年に、横浜市側の日吉が045となるまで続きました。いわば、電話番号に日吉村が残るとも言える状況でした。

 ここで、似たような例を沖縄県内でも探してみます。すると、「0980」に続く本部町の市内局番が、「47」と「48」の2つに分かれているのを見つけました。47年、本部町のうち北部の9地区が分立して上本部村を設置し、謝花地区に村役所を設置しました。71年に上本部村は再び本部町に編入され、現在の町域となりましたが、その中で局番が「48」となる9つの地区は、上本部村であった地域とぴったり重なっています。ここにも、電話番号に村が残っていたのです。
 上本部村の消滅から40年がたち、かつて上本部村が存在した跡はほとんど残っていません。その中で、身近に使っている電話番号に村の痕跡がありました。数字が並ぶだけの電話番号も、さまざまな地域の歴史を語る存在なのです。


<まちあるきライター>
一柳亮太(ひとつやなぎ・りょうた)

 1978年、神奈川県出身。大学で地理学を専攻し、離島に暮らす人々の生活行動を研究。まちや地域をテーマにしたワークショップやプロジェクトを運営する傍ら、まちあるきライターとしても活動。

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毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞「第1349号2011年10月21日紙面から再掲載」

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