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緑地が語る まちの記憶(沖縄・那覇市辻)

「緑地が語る」 まちの記憶 Vo.16

復興の思い結ぶ 海岸の風景

 今回は、那覇市沿岸部の街、辻にある「辻・若狭緑地」という場所を取り上げます。辻といえば遊郭の街として栄えた歴史が有名ですが、今回は違う切り口で見てみます。

<1> 波上宮より見た若狭、泊方面の風景。海岸沿いに公園の緑が続いている。この緑の線は泊港を挟んで天久台下の崖まで続く。ビーチ横の波上宮下には、この付近で唯一自然の海岸が残る
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波上宮より見た若狭、泊方面の風景。海岸沿いに公園の緑が続いている。この緑の線は泊港を挟んで天久台下の崖まで続く。ビーチ横の波上宮下には、この付近で唯一自然の海岸が残る

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 波上宮から南へ、長さおよそ200メートル、幅10メートルほどの木が生い茂る場所があります。公園のようにも見えますが、遊具やベンチが置いてある訳でもありません。中に入ると、ガジュマルが植えられていて鬱蒼(うっそう)としていますが、南側へ向かうとヤシに変わり、日が差し込むちょっとした散歩道になっています。木々の並びはそのまま三文殊公園まで続きます。まるで、波上宮と三文殊公園を結んでいるかのようです。
 さて、最初の波上宮に戻り反対側を見ると、波の上ビーチから北の海岸沿いに、泊港まで公園が伸びています。これらの公園は、何も偶然つながったのではありません。戦後行われた那覇市の都市計画によって造られたものでした。

 1953(昭和28)年、那覇市は石川栄耀という人物を招聘(しょうへい)します。石川は、東京都建設局長として東京の戦災復興を進め、日本都市計画学会を設立した都市計画の第一人者でした。石川は視察の結果を「那覇市都市計画の考察」という冊子にまとめます。その中で「水辺としては漫湖、波の上神社附近、等まれにみる美しさ」と評し、その上で夏期観光の中心として波上宮一帯の海岸を挙げ、さらに「水辺は必ず緑化すべきである」とも記しています。
 那覇は、石川の強い影響を受けた都市計画のもと、復興を進めます。「辻原」と呼ばれた辻の墓地群は改葬されて移転し、区画整理されて新たな街が誕生しました。埋め立てで生まれた海辺の土地には、レジャー施設「波之上文化娯楽センター」が開業し、レジャー施設と街の間には緑地帯が造成されました。この緑地帯こそが、冒頭で挙げた辻・若狭緑地なのです。

 海辺のレジャー施設と木々の茂る緑地。辻・若狭緑地は、海岸の風景を都市において実現したものだったのでしょう。しかし現在では、周囲の街と緑地が互いに結びつかず、まるでバラバラに存在しています。せっかくの緑地も、有効に生かされていると言えないのが現状でしょう。それでもこの緑地には、戦災で失われた街を、新たな都市計画によって復興しようする、当時の人々の理想が隠されているように思うのです。

<2> 波上宮に残る「波之上文化娯楽センター」より奉納された石灯籠(本紙1310号参照)。1958年に開業し、貸しボートやローラースケート場を経営した。現在敷地は自動車学校となっている
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波上宮に残る「波之上文化娯楽センター」より奉納された石灯籠(本紙1310号参照)。1958年に開業し、貸しボートやローラースケート場を経営した。現在敷地は自動車学校となっている
<3> 波上宮から見下ろした、辻・若狭緑地。ガジュマルを中心に木が鬱蒼と茂っている。おおむね緑地を境に左側が元々の陸地、右側が埋立地に分けられる
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波上宮から見下ろした、辻・若狭緑地。ガジュマルを中心に木が鬱蒼と茂っている。おおむね緑地を境に左側が元々の陸地、右側が埋立地に分けられる
<4> 明るい日差しが差し込み、横を通る道の並木と相まって明るい雰囲気。しかし、緑地周辺には駐車する車も多く、ホテルが建ち並ぶ一角もあり、人通りは多くない
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明るい日差しが差し込み、横を通る道の並木と相まって明るい雰囲気。しかし、緑地周辺には駐車する車も多く、ホテルが建ち並ぶ一角もあり、人通りは多くない
<5> 南の三文殊公園に近い側は、芝生に背の高いヤシの木が並ぶ。やや放置されている感じがするのが、もったいない
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南の三文殊公園に近い側は、芝生に背の高いヤシの木が並ぶ。やや放置されている感じがするのが、もったいない
<6> 三文殊公園から見た辻・若狭緑地。街の中に木々が生い茂る光景を見ながら、この緑地の貴重さを感じる。もし緑地がなければもっと寒々とした街並みになっていたと感じる
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三文殊公園から見た辻・若狭緑地。街の中に木々が生い茂る光景を見ながら、この緑地の貴重さを感じる。もし緑地がなければもっと寒々とした街並みになっていたと感じる
<7> さまざまな言い伝えが残る三文殊公園。右手に並ぶヤシが辻・若狭緑地で、公園と一体となって緑の線を形成しているのが分かる
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さまざまな言い伝えが残る三文殊公園。右手に並ぶヤシが辻・若狭緑地で、公園と一体となって緑の線を形成しているのが分かる

<まちあるきライター>
一柳亮太(ひとつやなぎ・りょうた)

 1978年、神奈川県出身。大学で地理学を専攻し、離島に暮らす人々の生活行動を研究。まちや地域をテーマにしたワークショップやプロジェクトを運営する傍ら、まちあるきライターとしても活動。

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毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞「第1367号2012年2月24日紙面から再掲載」

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