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国際通りが語る まちの記憶(沖縄・国際通り)

「国際通りが語る」 まちの記憶 Vo.17

いびつな敷地に 道路拡張の痕跡

 今回はまず写真を見てください。那覇市の国際通りから桜坂、壺屋へ向け、道路建設が行われています。新しい道路の端には、元々の敷地を切り取られて残った細長い土地が残っていました。

<1> 那覇市牧志、桜坂付近の道路建設現場。丘を切り崩して延びる道路の左右に、道路用地に切り取られて残された、いびつな形の土地が残る

<1> 那覇市牧志、桜坂付近の道路建設現場。丘を切り崩して延びる道路の左右に、道路用地に切り取られて残された、いびつな形の土地が残る
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那覇市牧志、桜坂付近の道路建設現場。丘を切り崩して延びる道路の左右に、道路用地に切り取られて残された、いびつな形の土地が残る

<2> 毎週日曜日のトランジットモール実施中の国際通り。車の通らない道は、意外に幅が広い。今回取り上げる松尾付近の国際通りの南側の店舗は、写真右側に並ぶ店
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毎週日曜日のトランジットモール実施中の国際通り。車の通らない道は、意外に幅が広い。今回取り上げる松尾付近の国際通りの南側の店舗は、写真右側に並ぶ店
<3> 一見何でもない店が並ぶ風景だが、よく見ると中央の店の棚が道に面して斜めになっているのが見える
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一見何でもない店が並ぶ風景だが、よく見ると中央の店の棚が道に面して斜めになっているのが見える
※拡大し、確認することができます。
<4> 右手の店は奥行きがほとんどなく、店を入ってすぐの壁に商品がディスプレーされている。隣の店や背後のマンションの形を見ると、斜めに切り取られ、いびつな形の敷地であることが分かる
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右手の店は奥行きがほとんどなく、店を入ってすぐの壁に商品がディスプレーされている。隣の店や背後のマンションの形を見ると、斜めに切り取られ、いびつな形の敷地であることが分かる
<5> 急な鋭角の敷地に合わせて作られた建物。建物と建物の間に、裏手へと続く細い階段があった
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急な鋭角の敷地に合わせて作られた建物。建物と建物の間に、裏手へと続く細い階段があった
<6> 裏手へ回ると、小高い丘と緑が残されていた。メーンストリート、国際通りのすぐ裏手とは思えない光景
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裏手へ回ると、小高い丘と緑が残されていた。メーンストリート、国際通りのすぐ裏手とは思えない光景
<7> 高い位置から、今回の場所を眺める。切り取られたような形の建物、入り組んだ敷地、背後にある小高い丘が見わたせる
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高い位置から、今回の場所を眺める。切り取られたような形の建物、入り組んだ敷地、背後にある小高い丘が見わたせる

 上の写真のように、最近開通または拡張された道路と、切り取られたいびつな形の空間という組み合わせは、よく見かける光景です。
 さて、国際通りに戻って町並みを見てみます。渋滞して狭い印象のある国際通りですが、車道の中央から見渡すとその道幅は意外に広く感じます。長さ1.6キロにわたって真っすぐの道が続き、両側に店が立ち並んでいます。
 歩いていてあることに気がつきました。商店街に並ぶ店舗は、ほとんどの場合、道路に対してほぼ垂直に店の奥行きが広がっています。しかし、国際通りの松尾付近、通りの南側に並ぶ店舗は、入り口から斜め向きに奥行きが広がっています。まるで何かで切り取られたかような形ですが、よく見ると敷地も非常に入り組んでいます。中には鋭角状の敷地に合わせて、ほとんど奥行きが無い店舗も存在します。
 昭和9(1934)年、安里~泉崎の間に「新県道」と呼ばれる道が開かれました。この道が現在の国際通りです。首里と那覇を短絡する、今で言うバイパスですが、当時は現在のように大きな土木工事を行うのではなく、松尾付近では丘を避ける緩やかな曲線を描きながら進んでいました。
 戦後、旧市街地が米軍に接収されると、国際通りを中心に人が集まり、店が立ち並びました。人や荷馬車などで、戦前のままの狭い道は大変な混雑でした。そのような国際通りを一新し、幅の広い直線道路とする工事が始まったのが、1952年のことです。幅18メートルの道幅は、車の少ない時代では破格の広さであったのでしょうが、さらに広げて22メートルとする計画もありました。
 当時の道路拡張の痕跡が、今でも国際通りに残っています。その痕跡こそが松尾付近の斜めの店舗なのです。冒頭で挙げた道路の建設現場にあったような、道路の敷地に切り取られて残された土地に店を建てた結果、斜めの店舗が生まれたのです。この付近は、道が丘を避けて曲がっていた部分。単なる拡張だけでなく、曲がり道を直線化する過程で入り組んだ敷地も生まれたのでしょう。
 那覇の中心、国際通りでも過去を語ってくれるものを見つけることができました。恐らく各地に、過去と今を結びつけてくれる存在が、まだまだ数多く残っているのでしょう。


<まちあるきライター>
一柳亮太(ひとつやなぎ・りょうた)

 1978年、神奈川県出身。大学で地理学を専攻し、離島に暮らす人々の生活行動を研究。まちや地域をテーマにしたワークショップやプロジェクトを運営する傍ら、まちあるきライターとしても活動。

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毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞「第1375号2012年4月20日紙面から再掲載」

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