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実践!防災のワザ「粉モノ」で家族水いらず【沖縄から防災を考える】

実践!防災のワザ[7]
「粉モノ」で家族水いらず

執筆:稲垣暁

 沖縄で大災害が発生したら、夏場は特に食で苦労することを第3回(2015年6月25日発行・1458号)に書いた。第5回(2015年8月27日発行・1467号)では、避難生活の食は炭水化物に偏るため、地域や家庭の菜園で島野菜を育てておくと栄養素の備蓄になると書いた。では、どのような食が沖縄の災害時にふさわしいだろうか。
 高温多湿の沖縄では、火が通っていなければ不安だ。豚汁など汁モノの出番となるが、断水で水の調達が難しいこともある。その上、長期にわたる広域停電下の暑い時に食べるのはなかなか大変で、混雑した避難所ではこぼす危険もある。高齢者や子どもが運搬するのは難しい。
 そんな時でも重宝する、沖縄の伝統的災害食といえば「粉モノ」(小麦粉)だ。ヒラヤーチーは少量の水ででき、野菜も摂れる。断水時のトイレを使うことが不安で、水分ばかりの汁モノに手を出さなくなる高齢者や女性にとっても食べやすい。
 もともと粉モノは子どものおやつ程度だったのが、関東大震災の応急食として主食級に「昇格」したようだ。それが「もんじゃ焼」だ。関西では、戦後の食糧難に野菜を混ぜた「お好み焼き」として発展したらしい。広島では、原爆で廃虚になった街で、夫を亡くした女性たちがお好み焼き店を始めたことをきっかけに、「広島焼」として今に至るという。
 阪神淡路大震災では、関西を代表する「ソウルフード」として、お好み焼きを食べることで元気が出た。炊き出しとして出されるより、みんなで作った記憶の方が多い。水をあまり使わず、子どもが簡単にできる手軽さと、好きな具を入れながら家族で一緒に作る楽しさが、復興に向けた心のエンジンとなったことは間違いない。
 東日本大震災では、岩手県の被災地でこねた小麦粉を野菜と共にスープに放りこむ郷土料理「ひっつみ汁」を食べた。寒い地域では、やはり汁モノ+粉モノだ。現在も続けている仮設住宅での交流でも、必ず出してくださる。その土地のものを食べると、外から来た人でも勇気が出る。

東日本大震災前の2011年1月、那覇市にぎわい広場で行った粉モノによる炊き出し実践。被災生活になった時、みんなで作ると元気になることを学んだ
東日本大震災前の2011年1月、那覇市にぎわい広場で行った粉モノによる炊き出し実践。被災生活になった時、みんなで作ると元気になることを学んだ

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「ラップ巻き食器」で水洗い不要

 阪神淡路大震災では、極力水を使わないようにするため食器をラップで包んで料理を盛る方法が自然発生した。使った後はラップを捨て、食器は洗わなくて済む。その後、各地の大災害被災地でも行われている。新聞紙で簡単に食器を作る方法もある。作り方はウェブで検索すれば出てくる。
 沖縄ではそれほど遠くない昔、カーサ(幅のある葉)を食器としていた。いや、今でもムーチーや行事で使っているではないか。よく使われるゲットウやショウガの葉には殺菌作用もある。旧盆では、ミンヌクをクワズイモの葉に盛る。自然と共存してきた沖縄の暮らしに、防災のヒントは数多くある。

新聞紙で作成した食器をビニールで巻いたもの。豚汁を盛り付けている
新聞紙で作成した食器をビニールで巻いたもの。豚汁を盛り付けている

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[8]炊き出しは「具」にこだわれ
[7]「粉モノ」で家族水いらず
[6]災害時、水は使い回す
[5]万能島野菜「フーチバー」
[4]勇気と希望の源
[3]夏場の沖縄 避難食の困難
[2]避難所おにぎり・弁当秘話
[1]食べることは生きること


沖縄国際大学特別研究員の稲垣暁氏

いながき・さとる
1960年、神戸市生まれ。沖縄国際大学特別研究員。社会福祉士・防災士。地域共助を専門に東北や神戸との交流を続ける。


<実践!防災のワザ>
沖縄タイムスの副読紙/毎週木曜日発行・週刊ほーむぷらざ「第1475号2015年10月22日紙面から転載」

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