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山川二丁目バス停が語る まちの記憶(那覇市首里山川)

「山川二丁目バス停が語る」 まちの記憶 Vo.22

首里プールの変遷映し出す

今回取り上げるのは、那覇市首里にある「山川二丁目」バス停です。付近は、新しいマンションなどが建ちつつも、閑静な住宅地のたたずまいを残しています。

 山川二丁目のバス停は、15年ほど前まで「プール入口」という名称でした。プールというのは、近辺にあった那覇市営首里プールのこと。1952(昭和27)年に完成し、94(平成6)年に利用休止となるまで多くの市民に親しまれました。現在の尺度で見れば決して大きなプールではありませんが、完成当初は沖縄唯一の淡水プールとしてさまざまな大会も行われました。初期の頃は、プールの水を龍潭から引いていたという話もあります。
 現在、跡地はマンションとなり、一角に置かれる石碑だけが、首里プールの存在を伝えています。山川二丁目のバス停も、97年にプールが正式に廃止されると名称が変更されました。今となっては乗降も多くはなく、住宅地にあるごくありふれたバス停であるように見えます。
 私自身、15年ほど前に一度だけ、閉鎖されたプールを訪ねて、このバス停で降りたことがあります。この時、前後のバス停には市外線もすべて停まるのに、なぜかプール入口だけは市外線は通過し、市内線のみ停車していたのを、少し不思議に感じたことを覚えています。
 今回、プールがあった頃の地図を見て、あらためて気づきました。プールがまだ開場していた当時、プール入口のバス停は、文字通りプールへ向かう入り口の場所に置かれていました。その位置は、隣のバス停である桃原から100メートルに満たない短い距離です。あまりに近い間隔ですが、プールを訪ねる人の便宜を図り市内線のみが停車するバス停が置かれたと考えられます。
 プール閉鎖後、いびつな距離となっていたバス停の間隔が極力等しくなるよう、プール入口のバス停は移転されました。その後、やや時間を置いて名称を変更し、通過していた市外線のバスも停車するようになりました。その結果、他と変わらないバス停となったのです。ちょうど私が訪ねた時は、この刻々と行われる変化の合間であったのでしょう。
 今回取り上げた山川二丁目のバス停は、名称や位置がプールのあった頃の名残を、直接的にとどめているわけではありません。しかしこの地にプールが置かれ、多くの人が集まり、そして消えていった変遷を、バス停が鏡となって映し出しているように思えるのです。

<1> 「プール入口」バス停があった付近。一番手前にある電柱の辺りと、バスが走っている位置の道向かいビルの前に、かつてバス停が存在した
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「プール入口」バス停があった付近。一番手前にある電柱の辺りと、バスが走っている位置の道向かいビルの前に、かつてバス停が存在した
<2> 写真1の右手にあったビルの下から、首里プール跡へほぼ一直線に伸びる道。かつては、プールへ向かう人が行き交い、賑わう日もあったのかもしれない
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写真1の右手にあったビルの下から、首里プール跡へほぼ一直線に伸びる道。かつては、プールへ向かう人が行き交い、賑わう日もあったのかもしれない
<3> 首里プール跡。現在は敷地の大部分はマンションとなり、一角に置かれる記念碑のみが、かつてこの地にプールがあったことを今に伝える
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首里プール跡。現在は敷地の大部分はマンションとなり、一角に置かれる記念碑のみが、かつてこの地にプールがあったことを今に伝える
<4> 首里プール跡の記念碑。開設時のプール開きの写真が刻まれている。説明文には、「惜しまれながらここに43年余りの歴史を閉じる」とある <5> 現在の山川二丁目バス停。プール入口のバス停は、奥のカーブを右へ曲がった先、およそ150メートルの位置にあった。現在、このバス停からプール跡までの道が存在するが、以前は写真2の道が、バス通りからの最短距離の道だった
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首里プール跡の記念碑。開設時のプール開きの写真が刻まれている。説明文には、「惜しまれながらここに43年余りの歴史を閉じる」とある
<5>
現在の山川二丁目バス停。プール入口のバス停は、奥のカーブを右へ曲がった先、およそ150メートルの位置にあった。現在、このバス停からプール跡までの道が存在するが、以前は写真2の道が、バス通りからの最短距離の道だった

●山川二丁目バス停周辺の地図

各バス停と首里プールの位置図。桃原とプール入口は近接しており、等しい距離に近づけたのが分かる。プール廃止と前後して行われたバス停位置・名称変更では、プール入口を山川寄りに移転し、しばらく後に、山川二丁目に変更された。プール入口の移転に伴い、桃原のバス停を、片方向のみ旧プール入口付近に移す措置が取られている
各バス停と首里プールの位置図。桃原とプール入口は近接しており、等しい距離に近づけたのが分かる。プール廃止と前後して行われたバス停位置・名称変更では、プール入口を山川寄りに移転し、しばらく後に、山川二丁目に変更された。プール入口の移転に伴い、桃原のバス停を、片方向のみ旧プール入口付近に移す措置が取られている

<まちあるきライター>
一柳亮太(ひとつやなぎ・りょうた)

 1978年、神奈川県出身。大学で地理学を専攻し、離島に暮らす人々の生活行動を研究。まちや地域をテーマにしたワークショップやプロジェクトを運営する傍ら、まちあるきライターとしても活動。

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毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞「第1397号2012年9月21日紙面から掲載」

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