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住宅前バス停が語る まちの記憶【那覇市三原・識名】

「住宅前バス停が語る」まちの記憶 Vol.24

「住宅」に隠れた戦後復興の歴史

今回は「住宅前」バス停について取り上げます。子どものころ「住宅前」というバス停の名前が不思議でした。どこにでも住宅の前に置かれているバス停があるのに、なぜそこだけが住宅前なのか、分からなかったからです。バス停の「住宅」が、団地や分譲地を示す言葉だと知ったのは、大人になってからのことでした。

那覇市の小禄に「住宅前」を名乗るバス停があります。このバス停の周囲にも、沖縄の分譲住宅地の先駆けとされる琉球団地や、琉生団地など、幾つかの分譲地が存在しています。このような場所を歩くと、直線的な道路、整然と並ぶ家屋という分譲地ならではの特徴的な景観を見ることができます。

那覇市内にはもう1カ所、三原と識名の境界線となる道沿いに「住宅前」というバス停がありました。現在、この通りを走るバスは廃止されていますが、今でも道路に、バスが停車する凹状のスペースが跡として残っています。

とはいえ、バス停跡の周辺を見回しても、団地や分譲地らしき場所は見当たりません。この周辺が宅地化したのは戦後すぐの人口急増によるもので、いわゆる郊外の分譲地が成立したのは1965(昭和40)年前後ですから、時代が合いません。さらに周囲を歩くと、バス停跡から三原側に入った一角に、直線の道路に整然と住宅が並ぶ場所を見つけました。急速に宅地化した地域でよく見られる雑然とした景観とは対照的な、まるで先に上げた小禄の分譲地のようになっているのです。

この整然と住宅が並ぶ一角は、民政府住宅と呼ばれる場所でした。民政府とは、46(昭和21)年に設立された、沖縄本島周辺地域を対象とする行政機構、沖縄民政府のことです。では、なぜこの場所に民政府の名が付けられた住宅地が広がっているのでしょうか。

沖縄の戦後復興は本島中部の石川(現在のうるま市石川)から始まりました。沖縄民政府も設立当初は石川に置かれ、次いで新里(現在の南城市佐敷新里)に移りました。そして49(昭和24)年、戦前県庁が置かれた那覇に、再び民政府が移転したのです。

しかしながら、まだ戦後の混乱期の中で、民政府で働く職員の住宅確保もままなりませんでした。そのような状況の中で、職員用の住宅として確保されたのが、この民政府住宅なのです。すなわち「住宅前」バス停は、この民政府住宅を示しています。

「住宅前」という、一見平凡な名称に、実は沖縄の戦後復興の歴史が残されているのです。

<1>那覇市小禄にある住宅前バス停。住宅地ばかりではなく、周囲にはスーパーなども出店している。バス停の乗り降り、車の通りもほどほどあり、人の行き来も多い
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那覇市小禄にある住宅前バス停。住宅地ばかりではなく、周囲にはスーパーなども出店している。バス停の乗り降り、車の通りもほどほどあり、人の行き来も多い
<2>住宅前バス停の近辺の、直線の道路に家屋が並ぶ典型的な分譲地の光景(琉生団地)
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住宅前バス停の近辺の、直線の道路に家屋が並ぶ典型的な分譲地の光景(琉生団地)
<3>こちらは那覇市三原にあった住宅前バス停の跡。バス路線が廃止された後も、バスが停車するスペース(バスベイ)が両方向ともそのまま残されているのが分かる
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こちらは那覇市三原にあった住宅前バス停の跡。バス路線が廃止された後も、バスが停車するスペース(バスベイ)が両方向ともそのまま残されているのが分かる
<4>間違いなくこの場所がバス停だった証拠品(?)。設置されていたバス停の鉄パイプが切断され、基礎の部分に埋もれて残っている(赤線円内)
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間違いなくこの場所がバス停だった証拠品(?)。設置されていたバス停の鉄パイプが切断され、基礎の部分に埋もれて残っている(赤線円内)
<5>民政府住宅。真っすぐに延びる直線道路の左右に、家屋が整然と並んでいる。この直線の道の横方向には、各敷地を切り分けるような細道が存在する
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民政府住宅。真っすぐに延びる直線道路の左右に、家屋が整然と並んでいる。この直線の道の横方向には、各敷地を切り分けるような細道が存在する
<6>地形に合わせ、宅地が造成された様子が分かる細道。この場所が無秩序に住宅地となった場所ではないことが読み取れる
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地形に合わせ、宅地が造成された様子が分かる細道。この場所が無秩序に住宅地となった場所ではないことが読み取れる
民政府住宅周辺の空中写真。枠で囲っている範囲が、概ねかつての民政府住宅。この場所だけが、整然と家屋が並んでいる様子が分かる。住宅前のバス停は、この民政府住宅の入り口に当たる部分に位置している(国土地理院、2010年撮影)
民政府住宅周辺の空中写真。枠で囲っている範囲が、概ねかつての民政府住宅。この場所だけが、整然と家屋が並んでいる様子が分かる。住宅前のバス停は、この民政府住宅の入り口に当たる部分に位置している(国土地理院、2010年撮影)

<まちあるきライター>
一柳亮太(ひとつやなぎ・りょうた)

 1978年、神奈川県出身。大学で地理学を専攻し、離島に暮らす人々の生活行動を研究。まちや地域をテーマにしたワークショップやプロジェクトを運営する傍ら、まちあるきライターとしても活動。

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毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞「第1410号2012年12月21日紙面から掲載」

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