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新城売店前バス停が語る まちの記憶【八重瀬町新城】

「新城売店前バス停が語る」まちの記憶 Vol.25

「売店」の名に配給の歴史が

今回は、八重瀬町新城にある「新城売店前」バス停を取り上げます。前回の「住宅前」に引き続き、今回も「前」が付くバス停です。こちらも、一見するとごくありふれた名前のバス停のように見えますが、果たしてどのような過去の記憶が隠されているのでしょうか。

<1> 新城売店前バス停の全景。現在も残る売店はカーブの先に位置している。近くに玉泉洞が位置していることもあり、車の通行量は多い
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新城売店前バス停の全景。現在も残る売店はカーブの先に位置している。近くに玉泉洞が位置していることもあり、車の通行量は多い
バス停の名称部分(矢印部分)を拡大。隣接するバス停が「商店前」であることが分かる
バス停の名称部分(矢印部分)を拡大。隣接するバス停が「商店前」であることが分かる

少し前までは、最寄りのお店や会社の名前を名付けたバス停が、各地に存在していました。移転などでバス停の最寄りで無くなる機会に改称され、近年では徐々に減りつつあります。しかし、地方や離島に行くと今でも残っていて、その土地の暮らしが垣間見えるようです。売店前を名乗るバス停も、同じ八重瀬町にある「具志頭売店前」をはじめ、県内にはほかに3カ所存在します。

さて、この新城売店前のバス停ですが、隣接するバス停の名前は「商店前」となっています。売店と商店の前を名乗るバス停が隣り合っているのも面白いのですが、それだけでなく、ふとある事に気づきました。商店前があくまでも一般名称として商店の前であることを示しているのに対して、新城売店前は特定の店舗名を挙げてバス停の名前としているのです。この違いは、果たしてどういう理由によるものなのでしょうか。

それは戦後すぐに行われていた食糧の配給制度とのかかわりがありました。1946(昭和21)年に始まった米国軍政府による配給では、配給の拠点として「販売店」を設ける方針が示されました。八重瀬町に隣接する南風原町の町史によれば、当時の南風原村内に販売店として南風原区売店と宮平区売店が設けられ、販売店の配給係は村長による任命でした。

こうしてみると、売店とは単なる店舗にとどまらない、極めて公的な存在であったことが分かります。売店は、周囲からも人々が集まる場でもあったことでしょう。バス路線が走れば、人々が集まる場としてバス停も設置され、必然的に人々が集まる売店の名前が、バス停の名称とされたのだと思います。

その後、人々の暮らしが落ち着きを取り戻すのに従って、配給品以外の品物を売る民間の商店が現れます。配給の制度が無くなると、売店も一般の商店と変わらない存在となりました。

大型スーパーが増えた今では、昔ながらの商店も急速にその数を減らしています。この「新城売店前」と、隣り合う「商店前」のバス停を見ると、戦後の人々の暮らしを支えた売店の存在と、戦後の社会の変化が浮かび上がってくるように思えるのです。

<2> 現在も残る「新城売店」の看板を出す店舗。残念ながら訪問時はシャッターを下ろしていた。ポストが設置されているのも、人々が集う場であったことをうかがわせる
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現在も残る「新城売店」の看板を出す店舗。残念ながら訪問時はシャッターを下ろしていた。ポストが設置されているのも、人々が集う場であったことをうかがわせる
<3> 新城売店前バス停の傍らに置かれていた「具志頭尋常高等小学校新城分教場跡地」の碑。戦前はこの場所に分教場が置かれ、戦後も保育所や公民館があり、売店の周辺が集落の拠点であったことが分かる
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新城売店前バス停の傍らに置かれていた「具志頭尋常高等小学校新城分教場跡地」の碑。戦前はこの場所に分教場が置かれ、戦後も保育所や公民館があり、売店の周辺が集落の拠点であったことが分かる
<4> こちらは隣の「商店前」バス停周辺の風景。現在も商店として営業しているのは1店舗のみだが、周囲には居酒屋や喫茶店なども存在する。道路工事などもあり、どれがこのバス停の示す商店か、現在営業している商店なのかは分からない
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こちらは隣の「商店前」バス停周辺の風景。現在も商店として営業しているのは1店舗のみだが、周囲には居酒屋や喫茶店なども存在する。道路工事などもあり、どれがこのバス停の示す商店か、現在営業している商店なのかは分からない
<5> 「商店前」バス停。貼られている時刻表には、空白が目立つ。バスは、1日4回、土休日はわずか2回だけ、ここを通過する
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「商店前」バス停。貼られている時刻表には、空白が目立つ。バスは、1日4回、土休日はわずか2回だけ、ここを通過する

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<まちあるきライター>
一柳亮太(ひとつやなぎ・りょうた)

 1978年、神奈川県出身。大学で地理学を専攻し、離島に暮らす人々の生活行動を研究。まちや地域をテーマにしたワークショップやプロジェクトを運営する傍ら、まちあるきライターとしても活動。

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毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞「第1413号2013年1月18日紙面から掲載」

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