「むつみ橋交差点が語る」まちの記憶 Vol.28
戦後の混乱と隠れた川や橋
那覇で一番の繁華街、国際通り。その国際通りでも最も中心に当たるのが、沖映通りと市場へ続くアーケード、水上店舗とが交差するむつみ橋の交差点です。この交差点付近が、何年か前まで沖縄県内の商業地として最も地価の高い地点でもありました。スクランブル交差点を毎日多くの人が行き交っています。

むつみ橋交差点。左が沖映通り、右側、看板が重なるように取り付けられているのが水上店舗。よく見ると、むつみ橋通りが少し低くなっているのが分かる。前後の国際通りを含め橋の部分がかさ上げされているため
ビルに囲まれた、よくある街中の交差点ですが、よく考えると不思議な名前の交差点です。周囲に川と橋があるようには見えませんが、「むつみ橋」と橋の名が名付けられています。国際通り、沖映通りを歩いて行くと、確かに川と交差しますが、両者とも500メートルほど離れていますし、それぞれに蔡温橋、美栄橋と、異なる橋の名前が付けられています。
では、このむつみ橋はどこにあるのでしょうか。実は、このむつみ橋交差点こそが、橋なのです。では、川はどこにあるのでしょうか。その答えが、国際通りと交わる方向にある水上店舗です。「水上」とは文字通り水の上のこと。そう、水上店舗の下には、「ガーブ川」と呼ばれる川が流れているのです。ガーブ川は大雨の度に水が溢れ、周囲の市場を何度も水浸しにしていましたが、1965(昭和40)年に水害対策として改修の上でふたがされ、その上に水上店舗が建設されました。
水上店舗の下を流れるガーブ川を、国際通りはむつみ橋で越えています。よく見ると、むつみ橋交差点の歩道には少し高低差があって、橋に当たる部分が盛り上がっています。
国際通りの下を通ったガーブ川は、海に向かって沖映通りの下を流れます。それではと、川を下るように沖映通りを歩いて行くと、しばらく歩いた先にぽっかりと川が顔を出していました。
交差点の名前に、水害が起こる場所を市場にせざるを得なかった戦後の混乱と、復興の中で見えなくなった川と橋が隠されていたのです。

信号に取り付けられた「むつみ橋」と記された交差点名を示す標識。戦後復興の一環として行われた国際通りの拡張時に建設され、公募により「むつみしたしむわが那覇市」という那覇市歌の一節にちなんで名付けられた

ガーブ川が顔を出す部分。奥の白いビル手前を横に横切っているのが沖映通り。意外に幅も広く、街の下をこのような大きな川が流れているとは改めて驚く。この場所の下流200メートルほどで久茂地川に合流する

水上店舗横のアーケードの通りを上流側に向かうと、道が二股に分かれていた。川にふたをして道とした経緯が、このような形にも現れている。左側、アーケードが続く川がガーブ川の本流、右に分かれるのが支流

<まちあるきライター>
一柳亮太(ひとつやなぎ・りょうた)
1978年、神奈川県出身。大学で地理学を専攻し、離島に暮らす人々の生活行動を研究。まちや地域をテーマにしたワークショップやプロジェクトを運営する傍ら、まちあるきライターとしても活動。
▼関連する記事<まちの記憶>
・むつみ橋交差点が語る「まちの記憶」
・石垣島・開南バス停が語る「まちの記憶」
・北谷運動公園前バス停が語る「まちの記憶」
・新城売店前バス停が語る「まちの記憶」
・住宅前バス停が語る「まちの記憶」
・三土堤バス停が語る「まちの記憶」
・山川二丁目バス停が語る「まちの記憶」
・夫婦橋バス停が語る「まちの記憶」
・泡瀬バス停が語る「まちの記憶」
・五月橋バス停が語る「まちの記憶」
・開南バス停が語る「まちの記憶」
・国際通りが語る「まちの記憶」
・緑地が語る「まちの記憶」
・区画が語る「まちの記憶」
・通りが語る「まちの記憶」
・道路が語る「まちの記憶」
・電話番号が語る「まちの記憶」
・郵便局が語る「まちの記憶」
・橋が語る「まちの記憶」
・マンホールの蓋が語る「まちの記憶」
・道が語る「まちの記憶」
・見えない川が語る「まちの記憶」
・久茂地公民館が語る「まちの記憶」
・道・すーじーが語る「まちの記憶」
・建物が語る「まちの記憶」
・灯籠が語る「まちの記憶」
・バス停が語る「まちの記憶」
・電柱が語る「まちの記憶」
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞「第1421号2013年3月15日紙面から掲載」